夢かうつつか 寝てか覚めてか

変わらない世界を嘆くかわりに彼女は走った

その時、彼女は何を思ったか。

【注・このページは映画『図書館戦争 THE LAST MISSION』の内容に触れています。ネタバレがお嫌な方は読むことをお控えください。】












前回の記事で、堂上が「好きだ」と言う代わりに、言動でいかに郁が大切かを表しているかが分かって泣けたと書いた。今回は郁に焦点を当てたいと思う。

まずは外せない、査問会の場面。

野村(何故原作にある通りの砂川じゃダメなのか分からなかったんだけど、なんで?)が行った焚書行為の共犯者に郁の名前を挙げたため、郁は査問会に召集される。そこで、行政派はなんとか郁を罪人に仕立てあげようと狡猾な罠で郁の言質を取ろうとするのだ。

そこで堂上の話題が出てくる。

郁が図書隊を目指すきっかけとなった茨城の書店で見計らい図書の権限を行使したのは堂上 二正で、「問題のある上官に育てられた部下が問題行動を起こす」と言い放った。

査問会の陰湿な問いに疲弊しきっていた郁はその言葉を聞いた途端に反論する。

「あたしは確かに駄目な部下だけど、堂上教官は違います。堂上教官は尊敬できる立派な人です」

郁は、尊敬できる上官が自分のせいで悪く言われるのが我慢することが出来なかった。反論する途中で「あたしが共犯でも何でもいいです」と言ってしまったがために査問会は延長されることとなったのだが。

一旦査問が終了し、特殊部隊に戻るとそこには堂上の姿が。査問会の継続が決定したことを告げ、堂上は怒鳴る。何を言った。何かしでかさなければ延長されることはない。除隊することよりも嫌なことなどあるのかと。郁はあるんです、と強く言う。

「だって全然違うんだもん」

「何が」

「言いません、言いたくないから」

「言え、命令だ」

「そんなのズルい」

ここで郁は泣き出し、そこへ小牧、玄田が現れたので必然的に堂上が泣かせたのだという空気になり、堂上が狼狽えている隙に郁は走って逃げる。

この時、郁はきっと堂上のことしか考えていない。親に防衛部であることを隠してまで入隊した図書隊。鬼教官にしごかれ、戦いで泥を被り、血を被り、図書隊が正義の味方ではないことを知ってなお、辞めなかった図書隊。それを辞めることになったとしても、堂上が悪く言われるのは我慢ならないという。それはつまり、自分の人生を捨てても堂上を守るということではないだろうか。郁は「堂上教官は違います」と言った時、そこまで考えてはいなかったであろう。しかし、あのシーンの郁からはそれほどの熱量を感じた。






続いて、郁が『図書館法規要覧』を持って市街地を走り抜ける場面。ここでは既に堂上は被弾し、戦線から離脱しているので郁一人の戦いとなる。自らの武器である脚を振り上げ、車道を駆けていく。銃はない、盾もない。仲間もいない。そんな中を武器を携えた良化隊が束になって追いかけてくる。

泣きながら、時に声を上げながら、必死に走る。美術館の目の前で、良化隊が郁を捕らえるかと思ったその時、待ち受けていたのは数々のカメラだった。

フラッシュをたき、カメラマンが郁を撮っているとあれば、良化隊は銃を下ろすほかない。こんなところで発砲しようものなら、すぐさま次の日の朝刊となり、世論が良化隊を大バッシングすることは火を見るより明らかだ。

郁は撃たれる心配がなくなると、やっとその足を止め、マスコミの中心にいた折口のもとにへたり込み、『図書館法規要覧』を預ける。

ここは音楽が流れていて、郁たちの音声は消されているため、郁と折口が何を話したのかは分からない。しかし、この時の郁の表情は観ている者の涙を誘う。私はこの時、郁は一刻も早く堂上の元へ帰りたいのではないかと思った。きっと、郁は堂上を助けるためにあの道を走った。そんな風に思えてならない。

先程、『銃はない、盾もない。仲間もいない。』と書いた。けれど、郁はずっとある一人のことだけを考えて、信じて、頼りにして、走っていたはずだ。自分一人しかいないからこそ、堂上ならこんな時どうするであろうか考えていたのではないかと思う。

今作の小牧の台詞に「恥じない自分でいたい」というものがある。好きな人に恥じない自分でいたい。その姿勢は郁にもあると思われる。好きな人に恥じない自分でいたいから、死にかけた堂上を残し、郁は駆け抜けたのだ。

全ては私の解釈で、製作側の意図は全く違うものかもしれない。これを読んでいる人の中にもこれは違うと思う人がいるかもしれない。だけど、今作の郁はひたすらに堂上のことを考えているように感じた。