夢かうつつか 寝てか覚めてか

変わらない世界を嘆くかわりに彼女は走った

悪夢の生き残りは何を見たか

【このページは映画『図書館戦争 THE LAST MISSION』の内容に触れています。ネタバレがお嫌な方は読むことをお控えください。】










仁科 巌 関東図書基地司令。

『日野の悪夢』の唯一の生き残りであり、『図書隊』そのものを作り上げた人物である。

しかし、彼は原作には登場しない。

実写版『図書館戦争』のオリジナルキャラクターだ。と、いうのも原作に出てくる関東図書基地司令、稲嶺 和市にはモデルがいて、その方以外に稲嶺を演じてもらうのは止めてほしいと原作者直々にお願いがあったからだった。

前作で稲嶺はいないと聞いた時、少なからずショックはあったが、石坂浩二さん演じる仁科は稲嶺に負けず劣らずの魅力的なキャラクターで、私はすぐに仁科を好きになった。


それが今回、『図書館戦争 THE LAST MISSION』で更に好きになってしまい、もうどうしていいか分からないくらいだ。(基本的に頭のキレる渋いオジ様が好きな私としては仁科司令にハマる基準をどんぴしゃに満たしていると言える。)

* * * *


手塚慧がメディア良化委員会の建物内で良化隊幹部に向かって、これはチャンスだ、特殊部隊さえ殲滅してしまえばこっちのものだ(要約)と演説しているところへ、仁科が乗り込む場面。

「お取り込み中、失礼します」

そう言って落ち着いて入ってくる。ここはメディア良化委員会の建物、いわば敵の陣地である。そこに護衛も付けず、非戦闘隊員である柴崎だけを連れて入ってくるのだ。笑みすらも浮かべて。これだけでしびれる。

「座ったままで失礼。片足を日野で無くしましたもので」

突然の訪問者に良化の幹部はざわりと揺れた。あっけにとられる良化の面々を見て仁科は口を開く。

「戦闘を停止していただきたい」

要求を述べる仁科。これだけなら普通の『お願い事』である。しかし、仁科は続けて静かに爆弾を投下する。

「もちろんタダでとは言いません。私の首を差し上げましょう」

特殊部隊50余名の命を救うために、図書隊設立からずっとトップに君臨していた仁科が、その座を退くというのだ。これほど大きな決断をすっぱりとしてしまう幹部はなかなかいないであろう。

しかし相手は手塚慧。負けじと応戦してくる。『正論を武器にする』手塚慧に言われても逆上することなく、あくまで穏やかに、次の手を出してくる。

「図書隊は血を被る」と手塚慧に言われた時、仁科は痛そうな顔をした。これが最後のシーンに繋がってくるのだと私は考えた。

最後のシーン、それは、仁科が図書隊を去るシーンである。

原作では、稲嶺は関東図書基地に勤める隊員に見送られる。

司令部庁舎を出たところで稲嶺は目を瞠った。

「これは……あなたがたの心遣いですか」

柴崎に尋ねると、柴崎はにっこりと微笑んだ。

「いいえ。いま手の空けられる者が各自勝手に。ですから順列もばらばらです」

基地の正門までに至る道の左右に、隊員たちがずらりと整列していた。途中で折れている道の向こうにもずっと並んでいるのだろう。

一番手前に並んでいたのは図書特殊部隊の面々だった。

緒形副隊長が腹の底から声を張る。

「稲嶺関東図書基地司令に敬礼───ッ!」

防衛部も業務部も後方支援部もごちゃ混ぜになって並んだ隊員たちが一斉に敬礼する。敬礼に慣れていない業務部や後方支援部の敬礼が今ひとつ様になっていないのはご愛敬だ。

稲嶺が一礼すると、笠原が車椅子を押しはじめた。柴崎も横について歩きはじめる。

(有川浩 著 『図書館危機』356ページ)

このエピソードだけで、いかに稲嶺が図書隊員に慕われていたのかが分かる。実写化でこのシーンが含まれていたのなら、さぞ圧巻であっただろう。100人だろうか、200だろうか。それだけの人数が緒形の一声で一斉にザッと敬礼をするのだ。泣かないわけがない。

しかし、実写はこうはいかない。
このシーンがなかったからダメだと言っているのではない。こんな退き方もあるのかとハッとさせられ、仁科の“らしさ”に私の涙は止まらなかった。

仁科は最後の出勤日に見送られることをしない。玄田一人だけが「お疲れ様でした」と敬礼し、ひっそりと図書隊を去っていくのだ。

ここに先程の手塚慧の言葉が思い出される。

「図書隊は血を被る」

図書館を血を被る組織にしたのは誰か、それは間違いなく仁科である。

日野の悪夢で一人生き残った仁科は、図書隊を創設し、自分の部下に戦わせた。その心に、自らの片足と稲嶺を奪った良化隊に復讐心がないかと問われたらそれは嘘だという。戦いの血を被るのは図書隊を創った自分一人でいいのだと静かに笑う。

図書隊が血を被る組織であることは手塚慧に言われるまでもなく仁科は充分分かっていたはずだ。それでも、あの時仁科は痛そうな顔をした。自分が被る血を若い隊員たちに代行させていることを仁科はどう考えたのであろうか。

関東図書基地司令 仁科 巌 特等図書監
日野の悪夢を唯一語れる人物。しかし彼はあまり多くを語りはしなかった。仁科を演じた石坂浩二さんも「これは大団円ではないんだ」と語る。


彼は図書隊に何を見て、何を考え、司令の座を下りたのであろうか。